KIKO &DEKOの50歳からのeveryday

50代からの毎日幸せに生きるための羅針盤

中途半端な人生だからこそ正常なメンタルでいられるのだよ、飽きっぽさに万歳だよ

脳科学者の茂木健一郎さんが、「眠れないのは嫌な記憶を脳に保存しない為の防御」なので悪い事ではないと、確か言われてたと思うのですが、

 

いろいろ脳は自分を守るために必然なことをしているのだなぁと思う事が最近よくあります。

 

スーパー凡人の私よ。

熱しやすくて冷めやすい、あぁブログもそろそろ最初の熱も冷める頃てんてんてん

最初の頃は1日に何回アクセス確認してたでしょ。

最近は、どうせ増えてやしないし、あまり気にしなくなりました。

なんて増えるような活動もしてないので当たり前なのですが。

作り込むような記事をちょっとめんどくさな今日この頃です。

 

3ヶ月で初期の意欲の鎮静、3年でマンネリの発生。

 

しかし考え方によっては、飽きっぽさがあるから、嫌な記憶や執着なども薄れていく。

忘れたり、薄れたりするから人間は生きていける

どうしても忘れられないような人生のお別れのような記憶も、薄れるとは違うのでしょうが、同調ともいうか、同期とも言うのか、形を変えての保存となる気がします。

 

ある一定のより秀でてる人と言うのは、その執着がすごく強いとか長い期間、初期の勢いを維持できる人の事なのでしょうが、そのような人は、先日のケイト・スペードさんの事もありましたが、人生の舵を別の所へ切ってしまう人も多いと思います。

 

凡人のある程度の、飽きっぽさ、執着力の低さは波風をうまく乗り切れると言う意味では、生きやすい人たちとも言えるわけです。

 

若い頃は自分の平凡さ、所謂「秀でた人」でない自分やアイデンティティなど、若きウェルテルの悩みではありませんが、若いと言う事は、人生の可能性があるから悩むことなのでしょうね。

 

50代になった私は、何ももう人生の可能性を失っていると言う意味では全然ありませんが、このような焦燥感とはまた違った人生の見方をするように変化を感じます。

 

可能性と言った意味では、逆にこれまでの経験値。

半生を生きてきたからの知恵など。

できる事がたくさんあるような気持ちがあります。

 

しかし女性ホルモンを失って、握力もなくなってきて、瓶の蓋も開けられないのが現実。体力がなくなってイライラする事も多いです。

 

これを補うくらいな知恵を持って。

さてはて、今後どのような素敵な人生を送ろうか。