KIKO &DEKOの50歳からのeveryday

50代からの毎日幸せに生きるための羅針盤

すきがとまらな〜い!からの広がる世界観がすごすぎて驚いた話

 

おばちゃんの生態は本当に面白いと思う。

おばちゃんと言うのはちょうどバブル期時代に青春を送った人たちの事だ。本当にバブルと言うものはすごい時代だったと、この話はいくら若い人に説明してもわからないのだ。これはもう仕方がのないことかもしれないけれど。

平野ノラが面白滑稽にネタにしてくれて、もう一度、荻野目ちゃんがまた人気になってきたりして、それぐらい面白い時代だったって言うことだ。

 

 何がすごかったって、ボディコンを着てお立ち台の上で扇子を振っていた、このギャク的な、すごいエネルギー活動力!熱感!これは今の若い人のさとり世代には、到底絶対に理解することもできない、これはとてもかわいそうなことだと思う。若い人から言わせると全然知りたくないし、理解したくもないし、それのどこがいいのか全然よくわからない。いや、おばちゃんはぜひともわかってほしいんだよ。今の人たちに。そんな冷め冷めな人生じゃつまんないでしょう。ほっといてくれって?いやまぁちょっと聞いてくださいよ。

 

バブルってどんな時代だったかというと

 

浮き足立ってるというか浮かれ切ってるというか、お金もたくさんジャブジャブしていて、日本が高度経済期を経て完全にアメリカより上になったと勘違い。そんな時代だった。

 

バブル期育ちのおばちゃまの生態

 

ものすごく貪欲でいつも何か得する事はないか面白い事は無いかと目をキョロキョロとして探している。そして好きなものを見つけるとそのパワーとはものすごい。

 

 バブル期育ちの私の生態

 

ある外国人俳優がとてもとっても大好きになって、まぁそれはあるドラマから始まったんだけど、それでその国の背景や音楽つながって、数珠つなぎにいろいろなジャンルまで興味が広がり、ましてやインターネットの世界でのつながりも広がって、それがリアルの世界までと広がっていった。そしてまたブログを通して、ネットの世界からお金まで入ることができるんだと驚いたと言う事。それは今から13年も前の話で、その時はもちろんスマホなんかないしインターネットもようやく解放されたところで、のぼりとかくだりとか、そんな感じでパケホーダイなんてなかった時代だから。

 

ただの普通のおばちゃんが、子供のいるおばちゃんがそうやってネットの世界を通じてオフ会とかに参加して、イベントとかに参加して、すごいなぁと思ったよこの好きの熱エネルギー行動力。もともと出不精でひとりで出かけたりできないかった主婦が1人で地方に行ったり、遠征ってやつだよね。

 

好きが止まらない〜!って?

 

それは、本当に幸せな気持ちになって、ふわふわとした頭の中がピンク色。

何かに邁進するこのエネルギー。

 

 

今の若い「悟り世代」は可哀想

そうやってバブルのおばちゃま達がネットと言う世界を通して世の中の世界のつながり広がりの凄さを感じた時代の凄さを感じたんだけれども、今の若い人たちは生まれた時から、ゲームとかスマホとかあって。だからなのかな。逆にそれで満足してしまっているというかそれが当たり前だから新鮮さとか斬新さとかそういう感覚がちょっと違うと思う。

 

これってネットがいつでもどこにいる人とでも繋がれて世界が広がっているって言うのとはちょっと違うんではないかと思う逆にリアルでつながらなくても繋がってる感を感じてしまってそれで完結しまったしてしまっているというか。

 

人って何か面白いことがあったら一緒に笑いたい。好きな人の話を誰かに話したい!それについて共感したり語ったりしたくなるものだと思う。だから人は人恋しくなるものだと思う。でも今はネットの中でそういったことが代わりにできるから、外に出て人と合流しなくてもいいよ、人ってめんどくさいことの方が多いし。

 

おひとりさまとか、ひきこもりとか

 

確かに人ってめんどくさいよ。だってみんな自分が大事だし、皆が納得するようなことなんて難しいし。

 

どこかに所属している意識の安心感てそれって本来「助け合い」って言う事から来てるんだと思うけど。

 

人といると気を使うから嫌だめんどくさいとか、だったらそれを断ち切ってひとりでいいとか。

 

今はやたらと嫌われる勇気とか言う本が人気だったりとか、日本人て人の顔色見たりとか気を使いすぎてて、言いたいことが言えなくてストレス溜まっちゃったりとか。

 

確かに今の世の中は1人でも生きていけるのかもしれない、でもだからといって人のつながり、めんどくさいことを断ち切ると、同時に人とのつながりで良いことも断ち切ってしまうのはちょっと違うというか、もったいないことだと思う。

 

ネットの世界もそうだけど、誰かが自分の思っているモヤモヤを代弁してくれていることを書いていたり行っていたりすると、そうだそうだ!と右へ流れでみんなで共感して、よいしょしてしまう風潮があるけれども。

 

それも結局は差別とか固定概念とか、価値観とか。嫌だと思っているそういうことに、自分自身こそがそんな差別的なことにがんじがらめになっていたり、加わっていたりすることに気づいていないこともあるかもしれない。

 

例えばくそじじいとかクソ婆とか、わけわかんない人とかめんどくさい人とか、自分では選択できない出会いとか、いろいろ付き合いとかほんとにめんどくさいとか思うけど、でもその中で自分の価値観が全てではないとかいうことに気づく機会もあるかもしれない。だから嫌な人とでもそこで新しい発見とか、あー、聞いてよかったなぁと思った話とか、知らないでいたら損してたなぁとか、そういった状況を得る機会も拒絶してしまえば得る機会を逃しているのかもしれない。

 

好きが止まらない〜!とか言ってるバカみたいなおばちゃんとか、情熱とか言ってるのって、恥ずかしいとか格好悪いとか、若いからこそそういったことを思ってしまうのもすっかり中二病だと思う。

 

好きが止まらない〜!はすごく単純で純粋で明快な感情だと思う。ストレートな人間らしい。恥ずかしいなぁ!ばかみたいだなとか、そんなふうにドライでかっこいいと思っている若者とかは、じゃぁ逆に聞きたいけど何が楽しいの?何が幸せなの。

 

四角いモニターの中の世界は、無限に広がるような世界だけど、でも実際はたかが数10センチの四角い画面実際の世界は例えば歩いたり飛行機乗ったり電車乗ったりとてもとても時間がかかったり遠かったりとてもとても広かったり。

 

実際に怒ったり理不尽だと泣いたりは、とても疲れるけど、でもそこには画面を通してでは得られないようなまた違った感情も味わうことがある。人間は無力だと実感できたり言葉だけでは表現できないような複雑な何かを感じたり。

 

それは文字とか映像とか動画とかそういったものでは味わえないような、例えばぬくもりとか温かみとか冷たさとか悔しさとか。

 

経験していない事は知っていると言う事とはまた違う。知っていると言うのは本当に発端から出来事になるまでを一部始終を体験していると言う事。

 

例えば誰かが投稿した記事を見てあー知ってるよって答えるかもしれないでもそれは知っているのとは違う。ただシェアしただけ。

 

まとめ

実はそんなドライドライな若者たちも、やっぱり好きが止まらないのおばさま達の子供たち。実は内に秘めた熱い熱い何かを隠し持っているだけなのかもしれない。そんなふうにドライでいないとやってられないような世の中にしてしまったのは先人たちの大人たちのせいなのだから。これからの若い人たちに素直に好きが止まらない〜!と言えるような熱い熱い内に秘めるマグマのような情熱を発散できるようなそんな世の中になったらいいな!と思う今日この頃。